きずなづくり大賞入賞作品
きずなづくり大賞2014東京都知事賞受賞作品 「あさやけ子ども食堂」
文章:山田 和夫
自宅を改装して私の妻が25年前にパン屋を始めました。天然酵母にこだわったパン屋です。自宅には早朝からパン職人さんが出入りをして、いつも賑やかでした。地域のいろんな方がパンを買いに、家を訪れておりました。ですが生憎、五年ほど前に病に倒れ、亡くなりました。
同じ頃、私はサラリーマンとして勤めた会社を定年退職し、さらに原発事故の影響で息子夫婦が関西に移住し、誰も家にこない、電話もならない、一人暮らしの日々を過ごすことになりました。あの頃はどん底だったと思います。
そんなある日、大田区で「子どものための食堂」をやっていると教えてくれた方がいて、さっそく見学に行きました。子どもたちが集まって、美味しそうにご飯を食べて、一家団欒の暖かさがあり楽しそうでした。これと同じことを要町の私の家を開放して出来ないだろうか・・・
地域の方に声をかけられ参加した「豊島子どもWAKUWAKUネットワーク」の集会で、「子ども食堂、やってみたい」とつぶやいてみましたら、代表の栗林さんが聞き逃さず、その場で多くの方の賛同を得て引くに引けずに、「やりましょう」ということになりました。
それからの準備は大変でした。保健所の営業許可をとるために、少し家の工事をしました。食材をどうするか、調理のスタッフをどうするか、子どもは来 るだろうか。いろいろ心配事がありましたが、妻が残しておいてくれた地域のネットワークで手伝ってくださる方が次々とあらわれ、とうとう2013年の春に、「要町あさやけ子ども食堂」がオープン出来ました。長い夜が終わって、もうじき夜明け、でも今はまだあさやけの時。そんな気分で名前をつけました。
「子ども食堂」は、子どもだけでも入れる食堂と銘打って、一食300円で夕食を提供しています。第一・第三水曜日の17:30~19:00にオープン。食 堂には、親の帰りが遅く夕食を一人だけで食べていた子や、不登校だった子、赤ちゃん連れのシングルマザーなどが立ち寄ります。みんなで同じご飯を一緒に食 べる。食べた後は、幼児から高校生の年代の子までが、一緒になって遊びます。子どもたちはすぐに仲良くなるのです。一軒家なので、階段をのぼったり降りたりするだけでも楽しいようで、上の部屋では段ボールハウスの秘密基地やお化け屋敷ごっこが始まったり、みんなとっても楽しそうです。
6人に1人の子どもが貧困状況にあるといいます。私たちの子どもの頃は、みんな貧困でした。こんなに豊かな世の中になったのに、格差が広がっているようです。どの子も幸せになってほしいと思います。
お店の看板は、母子家庭のえむちゃんと、祖父母に育てられているわい君が作ってくれました。わい君は手先が器用で、上手に木を彫ってくれました。将来家具職人になりたいそうです。そこにはえむちゃんが描いた、カエルの絵があります。えむちゃん曰く「おせっかえる。おせっかいをされた子がおとなになっておせっかいを返すから。おせっかえるは、やさしいピンク色なの。」
お料理は、調理を担当してくれるスタッフに加え、ボランティアをしたいという方が次々と来られ、学生さんからお年寄りまで老若男女が入りまじり、わいわいみんなで作ります。お手伝いしてくださる方々にとっても、ここが居場所になっているのを感じます。
軌道にのってきた頃、「子ども食堂」のことが、新聞やTVに紹介され始めました。それをご覧になった全国の方々から、様々な支援をいただいております。自然栽培で作られた、お野菜・お米・味噌・じゃがいも・ジャムなどの食材や、手作りの布フキン・お寺からの「おやつのお裾分け」、遠い所ではスペインの在留日本人の方が、実家の北海道から新巻鮭を送っていただくなどです。
先日は、70すぎの男性からお手伝いの希望を頂きました。永年お寿司屋さんをやっていたそうで、子どもたちにお寿司を握ってあげたいそうです。年末のお楽しみ企画で活躍してもらいます。
困っている子どもに何かできることをしたいと思ってくださる方がたくさんいらっしゃるんだなと思いました。そんな方々との交流も、有難く思います。
小学生の女の子ですが、学校でイジメにあい、教室に行けずに、時々保健室に登校していたそうです。その子が、子ども食堂に来るようになりました。次 第に、 食べるだけでなく、お料理を運んだり、皿洗いなどのお手伝いをし始めました。そのうち、早くから来るようになり、マイスリッパを持参してまで、お料理作り に参加し始めました。小さい子どもたちとの遊び時間には、お姉さん役をやっています。この頃では、取材を受けると、自分の思っていることや考えていることを堂々と話せるようにすらなっています。
ある日、あまりの人の多さに靴を数えたら、50足あったこともありました。よくまあ、この家に50人も入るものだとびっくり。私自身、どん底だったときを振り返ると、とっても賑やかになって、こんなに幸せなことはありません。
オープンしてから一年半ほどになりますが、素敵なことがたくさん起こっています。誰がどうしたと言うわけではなく、子ども食堂という「場のちから」がそうさせているような気がします。
これからも、元気な限り、この活動を続けていきたいと思っています。